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今治・大西町の山之内石鎚神社でも「山開き」 天保時代から続く恒例行事

山之内石鎚神社に参拝する石鎚神社講の一行。

山之内石鎚神社に参拝する石鎚神社講の一行。

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 西日本最高峰の石鎚山で「お山開き大祭」が開かれていた最中の7月7日、今治市内の「山之内石鎚神社」(今治市大西町山之内)でも、毎年恒例の参拝行事が行われた。

天保2年と記された石鎚神社講の連名帳

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 参拝したのは、同地区で石鎚神社を信仰してきた家で結成する団体「石鎚神社講」。かつては40軒ほどが名を連ねていたが、現在は人口減少などの影響もあり7軒にまで減った。今年の行事には男女合わせて8人が参加した。

 当日、朝8時に竹熊手を手に登山口に集合した参加者。落ち葉や枝などをかき分けながら30分ほどかけて山道を登り、山之内石鎚神社に到着した。同神社は、かつて山城があったとされる尾根筋に向かう山中に位置している。境内には木製の小屋のほか、境内の裏には石室が安置されている。石室の扉を開けると、石鎚神社で祭られている3体の御神像を模したとされる3神のユニークな浮き彫りが施されている。

 一行は神社周辺や境内を掃除した後、石室の前にお神酒やサカキを供え、お経を唱えて参拝した。下山後は集会所に集まり、同団体が代々管理する、大西町出身の医師で絵師としても活躍した山本雲渓さんが手がけた掛け軸を祭った祭壇の前で再度、お経を唱えて無病息災を祈った。

 先祖代々続いてきたという石鎚神社講。会員名を記載した連名帳には、「天保2年」を起源とする記載があり、200年ほど続いてきた行事と考えられている。資料では、旧暦の6月10日に行ってきたという記載も見つけることができた。参加した神野通弥さんによると、「自宅にはさらに古い文政9年の記録も残っており、かなり古くからこの辺りで石鎚信仰があったのでは」と話す。

 起源や発祥の背景は連名帳などの記録に頼るところが大きく、現在の参加者も「こんなに古くから続いてきたとは知らなかった」「思った以上に歴史があった」などと、資料を振り返りながら口々に話していた。

 以前は神社に参拝できるのは男性だけで、実際に代表者が石鎚山に参拝していたといい、同神社の境内には「石鎚登山66度満行記念碑」も建立されている。多くの家が代替わりをした2012(平成24)年にルールを改正して以降、現在の形となって続いている。今年の世話人を務めた藤坂信隆さんは「高齢となった父に代わって参加し始めて10年ほど。メンバーも少なくなり、いつまで続けられるか分からないが、やれる限りは続けていきたい」と話す。

 「来年も神社に上がれることを目標に、元気で過ごしましょう」と口々に伝え合った。

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